勘違いで作り出した幻影〜穴の中で動けなかった男性のレトリーバル

今回は工事現場で亡くなった男性のレトリーバルです。F23にいる人は自分で自分のいる世界を作り出しています。周りの景色から、物に至るまで幻影に過ぎません。その自分で作り出した幻影に縛られて、動けなくなっていることが少なくありません。

ヘルパーは目の上にいる気がしたが、太陽が眩しいだけかもと思い、目の上に布をかける。

白髪のおじいさんのイメージ。白かグレーのジャンパーを着ている。だんだん工事現場かもという気がしてくる。

自己紹介をする

「どうされましたか?」の質問の答えはわからない。

「何が好きですか?」

「釣りかな」

「お名前は?」

「S」

「お歳は?」

「59」

「家はどちら?」

「横浜」

「お生まれは?」

「埼玉」

「今年は何年でしたっけ?」

「2001年」

「今、一番の願いは?」

「家に帰る」

「なぜ帰れないんですか?」

「はさまって動けない」

穴の中にいるのか・・・

「今、出してくれる人を呼びますから」と言ってヘルパーを呼ぶ。救助隊の姿だ。ロープを投げ、体に巻くように指示している。

Sさん、足が挟まっているから出れないと言うので、ヘルパーが「今、こちらで出れるように緩めます」と言う。

私は”それはそこにないと見る”の技を使ってみる。Sさんの足を挟んでいるのが何なのかは分らなかったが、「そこにないと見る」と宣言した。

Sさん、すぐにロープで引き上げられる。

上には救急車が既に待っていて、それに乗せることになっているらしい。

Sさん、足が痛そう。「よかったですね、これで家に帰れますよ」と言いながら、背中に手を当てて、PULLを送ってみる。

とりあえず、病院で検査しましょうと言われて、ベッドに横になり救急車は出発した。

ヘルパーと私は現場に残る。

何があったか質問。

「彼はなぜ囚われたのでしょうか?」

「工事現場での事故。酸欠で死んだ。酸欠で頭も回らないから、自分が死にかけていると気づかない。ただ、挟まって動けないと思っている。意識を失って、気がついたら死んでる。タイミングが悪いと、救助された時に(魂が)肉体と一緒に行けない」

「事故死の場合はそういうパターンは多いのでしょうか?」

「まあまあ、ある」

F23の現場に残っていたので、「Sさんがどうなったか見に行った方がいいですよね」と言ってF27へ移動する。

Sさんは個室で休んでいた。ケアルームみたいなところ。ガラス張りになっていて、外から見える部屋。近未来っぽい。そこで傷を癒すらしい。それが終われば通常コース。

ヘルパーに「もう少し知覚がはっきりすればいいんですけど・・・」と愚痴を言ってみる。

「自分が見たことのないところなどはイメージしにくい。色々見て、情景などを記憶に留める練習をするといい」とアドバイスをくれた。

礼を言って退室。

それはそこにないと見る

今回、私が使った、”それはそこにないと見る”の技について少し説明しますね。これは、ブルース・モーエン氏の『死後探索1』に出てきます。

彼がレベッカという相棒と共に、とある女性を非物質的に検査した時、その女性の体の周りに、黒いドロドロしたものがついているのが見えました。モーエン氏はそれを手で引き剥がそうとしたところ、自分の手にくっついて、痛くて大変なことになってしまいました。ところが、非物質的世界の探索では、彼よりもベテランであるレベッカは、触れることもなくあっさりとその黒いドロドロを消してしまいます。黒いドロドロというのは女性が抱えていた不安と恐れを象徴するものです。

で、この時、レベッカが使った手法・技というのが、”それはそこにないと見る”です。具体的な方法は消したい物や感情を”それはそこにない”と見るだけなのですが、大事なのは、消そうとか消えろなどと思いながら見るのはダメなんですね。レベッカ曰く、「何かをどこかへやったり消したりしようとすると、抵抗されることが想定される行為」で、「…力づくで消してしまおうとすればするほど、その努力によって抵抗の可能性が生まれてしまう」らしいのです。

勘違いが非物質的世界で物を作り出す

私が救出をしようとしたSさんの場合、本人が何か重たいものに足が挟まれていると思い込んでいました。それは、本人が作り出した幻影のようなものです。でも、本人がそれがあると思い込んでいる以上、非物質的にそこに存在していたはずです。

仮に、私がその場に行って、彼の足を挟んでいる重たい何かを持ち上げようとしたならば、「こんな重たい物、女性の力で持ち上がるはずがない」という彼の信念による抵抗のために、それが動くことはなかったでしょう。しかし、ガイドが「こちらで緩めます」と言ったことで、彼は「何か機械を使えば、動くに違いない」と思ったはずです。それだけでも、多分大丈夫だったと思いますが、私はアシストする意味で”それはそこにないと見る”と宣言しました。それによって、抵抗を受けることなく、その彼の足を挟んでいる何かを”ない”ことにできるかなと思ったのです。まあ、実際効果があったのかどうかは分かりません。

今まで、レトリーバルしてきた方々が成仏し損ねていた理由は、気掛かりであったり、頑固さであったり、~せねばならないであったり、パニックであったりしましたが、Sさんの場合は挟まっているという勘違いでした。実際には彼は酸欠で亡くなっているので、何かに挟まっていたわけではありません。本来ありもしない物を自分で作り出している状況です。勘違いなんですが、あると思い込んでいるのでどうにもできません。

これは亡くなった方の思い込みですが、生きてる私たちにもこの現象はしばしば起こります。一つ例を挙げると、病巣がないのに痛みを感じて、そこに病気があると思い込んで、実際に自分で病気(のような状態)を作り出してしまうことがあります。

私の舅の思い込み

私の舅は痔の手術をした後、手術後の痛みを気にするあまり、治っているのに治ってないと思い込んで、どんどん自分で痛みを増幅させるという厄介な状態になりました。「医者は治ったと言うが、痛みがある、だから治ってないに違いない」そう思って、患部に意識を集中すればするほど、痛みは大きくなりました。幻影により自分で患部を作り出していました。

他の病院を受診しても痔は治っていると言われます。でも、本人にしてみれば、痛みがあるのだから治っていないわけで、苦しみのあまり、とうとう鬱状態に陥ってしましました。その後、家族を巻き込みすったもんだした結果、ブロック注射という治療法を得て、痛みは徐々に消失しました。けれど、その時発症した鬱は結局全快することはなく、死ぬまで薬を飲み続けました。思い込みの力恐るべしです。

その当時、私はまだレトリーバルをやっていませんでした。もし、私が舅の「治ってない」という思い込みを”それはそこにないと見る”を使って、”ない”にしようとしたら、上手くいっただろうかと考えますが、今となってはわかりません。

「ある」はあるのか、「ない」はないのか

コップに水が半分入っているのを見て、ある人は「もう半分しかない」と思い、ある人は「まだ半分もある」と思う。同じ状況を見ても人によってポジティブな判断をするかネガティブな判断をするかは違うなどと言われます。結局、ある、ないは主観に過ぎないんですよね。

「制限がある」「限界がある」「責任がある」「お金がない」「時間がない」「自由がない」「才能がない」・・・

本当にそれはあるのか、本当にそれはないのか、実は自分がそう思い込んでいるだけではないのか。自分が作り出した幻影ではないのか。生き辛いと感じたら、ちょっと立ち止まって、考えてみてください。視界が開けるかもしれません。

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