今回のレトリーバルは田舎で一人暮らしのおばあさんです。
4月6日 AM
ヘルパーは全体的に動きのある黄色と紫。(前のヘルパーと同じかな?)近くにいるのはわかるけど、性別は不明。
移動
里山の感じ。古民家、農家の住宅風。(昨日のテレビの影響か)
とりあえず、話しかけてみる。おばあさんかな?
「どうかされましたか?」
「動けない。膝が痛くて」
「ここはどこでしょうか?」
「うちの庭。山梨」
「何をするのがお好きですか?」
「畑仕事」
「お名前は?」
「T子」
「お年は?」
「72歳」
「ご出身はどちらで?」
「静岡」
「ここはどこでしたっけ?」
「山梨」
「今年は何年でしたっけ?」
「平成3年」
「今一番の願いはなんですか?」
「家に上がりたい。猫に餌を・・・」
手を貸して縁側に座らせる。ここでヘルパーを紹介する。
ヘルパー「T子さん!役所の者です!膝が痛いんだって?町のリハビリセンターでしばらくリハビリしたらどうかな?」
T子さんが猫の心配をすると、ヘルパーが「ケイカさんが世話してくれるって!」と言うので、「餌あげとくね。しばらく入院するなら預かってあげるし、ご家族に預かってくれるようお話ししてもいいし・・・」と適当に話しを合わせる。
ヘルパー「先生が痛み止めの注射をしてくれるから・・・」
とかなんとか言いくるめたところで、さっそく行こうということになり、ヘルパーと二人でT子さんの手をとって車まで移動。痛そうにしていたのでPULを照射。T子さんと一緒に後部座席に乗車。安心するように手をとってあげる。程なく町のリハビリセンターへ到着。(ここってF27のレセプチョンセンターよね)
中へ入ると人がいて、すぐさま対応してくれる。膝が痛いので車椅子に乗せて奥へ。看護師さんが連れてってくれる。今時滅多に見ない白いナースキャップをかぶっている。
無事救出成功となったところで、センターの受付前でヘルパーに質問。
「彼女はなぜ死んだのですか?」
「病気。心不全」
「ではなぜ囚われたんでしょうか?」
「猫が気になったから。それと痛みで動けなかったから、そう(膝のせいで動けないだけだと)思い込んだ。一人暮らしですぐに発見してもらえなかったことも原因。近所の人が発見して、家族が来た時には『動けない』という思いでいっぱいだから、気づかない。すぐに誰かが見つけてくれれば、自分が死んだと気づくんだけどね。肉体が運ばれても、霊体だけがそこに残った」
ヘルパーにお礼を言って帰る。「またお願いします」と言っておいた。
※ヘルパー声デカ!72歳ならそんな大声じゃなくても聞こえるやろと思ってしまった。(もしかして92歳だった!?)ベタな役所(福祉系)の人の話し方だ。いかにもこういう人、居そうってとこがミソ。車も白のコンパクトカーだったし。このヘルパーはこの手の福祉系おばさんの役どころが得意なのかな?
ヘルパーたちの工夫
レトリーバルに参加するたびに、よく考えられてるシナリオだなあと感心します。ヘルパーも、要救出者が安心できるように、そこに登場しても違和感のない人の姿で現れます。
そして、救出にはF23からF27への移動が必須なので、必ず、上手いこと言って場所を移動させます。乗り物に乗るのはよくあるパターンですが、歩きの場合もあります。本人が受け入れられれば、空を飛ぶというのが本来の移動に一番近いのかもしれません。
この移動というのがポイントなんですが、囚われている人たちはしばしば移動を渋ります。移動を嫌がる原因がまさに囚われの原因となっています。T子さんの場合は、”猫のえさ”と”膝が痛くて動けない”でした。”気掛かり”と”思い込み”ですね。
ヘルパーたちは上手にその気掛かりと思い込みによるブロックを取り除く誘導をします。”猫の世話は他の人に頼めば大丈夫よね””膝が痛いのは病院で痛み止めの注射を打って貰えば楽になるわよ”と移動したくなる条件を提示してみせます。そうすると、「じゃあ行こうかしら・・・」となる訳です。見事だなと思います。
私たちは生きていても、死んでからも見えない存在たちに支えられ助けられているんだなと感じます。感謝ですね。
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